
そもそも私が保育士試験を受けよう!と思い立ったのは「子育て一段落したら、外で働きたい」と思ったからではありません。それもちょっとはあるけど。
残念ながら、世の中あまたある仕事の中でわざわざ選びたいと思う程、今の保育士の職業が魅力的とはそんなに思えない。爆弾発言スマヌ
40~50代で新しく入った先生が、1年でやめていくパターンのやたら多いこととか
最近だと現役保育士さんのブログ等読んでみても、保護者に上司に悩まされる話が多いこととか
女の職場のブラックなイメージが強いし
なによりも、給料がなぁ。(-_-)なんだかなぁ。
国家資格で、小さい子どもの命にかかわる責任もあり、職場の人間関係にも耐えねばならないだろうのに時給700~1000円とか月の手取りが14~17万程度とか、、仕事の評価としておかしすぎでしょ。(-_-)
保育士って、いろんな家庭のライフスタイルを支えるために最も重要なキーマンだと思う。
仕事内容だって、どんどん成長していく子どもに寄り添う喜びとやりがいのある仕事だと思うのですが、今のこの評価のままで保育士の仕事に就くと、自分も「その程度の仕事」と認めるようで嫌だ。
給料の額が社会的評価と思っちゃいけない?
低所得者に滅私奉公の精神を押し付けてきれいごと言っちゃダメですよw
保育園、幼稚園の先生の給料は、女性の仕事に対する評価のバロメーターと思ってもいいのじゃないでしょうか。
いや、女性の仕事というだけじゃないな、、子育てという、生命保持の最も大切な部分にかかわる働きがやって当然、できて当然の仕事としてタダ同然に扱われている現実。
(同じ子育てでも、色々くっつける「教育」の方はジャンジャンお金つぎ込めるのにね(^^;)
なんかおかしい。。。と私は思うわけです。
そんなわけで、職業として保育士が魅力的だと思ったから試験を受けたわけではないのです。
じゃぁなんでお前は保育士資格を取ろうと思うのだ!?と不快に思われる方もいらっしゃるだろうと思います。
それはいろんな理由があるのだけれど、一番大きな理由は夫の為。
彼の勤める病院が職員さんの福利厚生の一環として保育園を立ち上げたのだけれど、彼がその運営に関わることになったのです。
話を聞いていると補助金等申請するのに色々な基準があって、いつもその基準が守られていないともらえなかったり打ち切られたりするらしいので、開設当初の手探りの時は結構大変だったらしい(ちゃんと基準を守れているか、抜き打ち検査などもあるらしい。)
設備面等は一旦整えたら後は大きく変動することはないだろうけれど、問題は保育士で。
子ども一人当たり〇人、という基準をいつも守ろうと思うと、保育士がやめたりお休みしたりすることは彼にとって今後とてもストレスになることは想像に難くなかった。
また別の機会に書こうと思っているけれど、夫は鬱の既往症があるので、今は復帰できても強いストレスにさらされるといつまた鬱状態になるか分からないから、私にできることとして、自分が保育士の資格を持っていたら保育士が不足した時に次の保育士を探すまでの繋ぎになれると考えて、取ることに決めたのです。
繋ぎになるつもりで資格を取るなら、フルタイムで働くことはできない。
パートだって、募集する時には「自由に時間を選べる」的なことを言ってるけれど、実際に自由にできるとは思えない。下手に働き出してしまうと、いざ本当の目的の出番が来た時に身動き取れなくなってしまう可能性が高い。
だから、タイトルのように「保育士として働かないという選択」になるわけです。
これは特殊なケースだとは思うけれど、でも資格持っていても実際には保育士として働いていない人多そうですね。
現場が人手不足で厳しい、厳しいという話を聞くたびに、資格保有者が上手にワークシェアリングできるといいのに、、と思ってしまいます。
私にしたって、本当に勤務時間や勤務日を選べるなら資格取得後、せっかくなら生かしてみたいという気持ちはある。
最初の方で評価が云々とか書いているけれど、保育士全体のことはそれとして、私個人としては体力・気力あるうちに仕事に就かなかったら、また社会福祉士同様せっかく取った資格が紙切れになってしまうし。。。
雇用側も色々な内情があるのでしょうけれど、、まずはとにかく業界全体の、給料に露骨に表れているこの仕事に対する低い評価が変わらないと無理だなという気がします。
今日は暗い話でごめんなさい。天気が悪いのもいけないのかなぁ。。早くからっと晴れた空が見たい。
残念ながら、世の中あまたある仕事の中でわざわざ選びたいと思う程、今の保育士の職業が魅力的とはそんなに思えない。爆弾発言スマヌ
40~50代で新しく入った先生が、1年でやめていくパターンのやたら多いこととか
最近だと現役保育士さんのブログ等読んでみても、保護者に上司に悩まされる話が多いこととか
女の職場のブラックなイメージが強いし
なによりも、給料がなぁ。(-_-)なんだかなぁ。
国家資格で、小さい子どもの命にかかわる責任もあり、職場の人間関係にも耐えねばならないだろうのに時給700~1000円とか月の手取りが14~17万程度とか、、仕事の評価としておかしすぎでしょ。(-_-)
保育士って、いろんな家庭のライフスタイルを支えるために最も重要なキーマンだと思う。
仕事内容だって、どんどん成長していく子どもに寄り添う喜びとやりがいのある仕事だと思うのですが、今のこの評価のままで保育士の仕事に就くと、自分も「その程度の仕事」と認めるようで嫌だ。
給料の額が社会的評価と思っちゃいけない?
低所得者に滅私奉公の精神を押し付けてきれいごと言っちゃダメですよw
保育園、幼稚園の先生の給料は、女性の仕事に対する評価のバロメーターと思ってもいいのじゃないでしょうか。
いや、女性の仕事というだけじゃないな、、子育てという、生命保持の最も大切な部分にかかわる働きがやって当然、できて当然の仕事としてタダ同然に扱われている現実。
(同じ子育てでも、色々くっつける「教育」の方はジャンジャンお金つぎ込めるのにね(^^;)
なんかおかしい。。。と私は思うわけです。
そんなわけで、職業として保育士が魅力的だと思ったから試験を受けたわけではないのです。
じゃぁなんでお前は保育士資格を取ろうと思うのだ!?と不快に思われる方もいらっしゃるだろうと思います。
それはいろんな理由があるのだけれど、一番大きな理由は夫の為。
彼の勤める病院が職員さんの福利厚生の一環として保育園を立ち上げたのだけれど、彼がその運営に関わることになったのです。
話を聞いていると補助金等申請するのに色々な基準があって、いつもその基準が守られていないともらえなかったり打ち切られたりするらしいので、開設当初の手探りの時は結構大変だったらしい(ちゃんと基準を守れているか、抜き打ち検査などもあるらしい。)
設備面等は一旦整えたら後は大きく変動することはないだろうけれど、問題は保育士で。
子ども一人当たり〇人、という基準をいつも守ろうと思うと、保育士がやめたりお休みしたりすることは彼にとって今後とてもストレスになることは想像に難くなかった。
また別の機会に書こうと思っているけれど、夫は鬱の既往症があるので、今は復帰できても強いストレスにさらされるといつまた鬱状態になるか分からないから、私にできることとして、自分が保育士の資格を持っていたら保育士が不足した時に次の保育士を探すまでの繋ぎになれると考えて、取ることに決めたのです。
繋ぎになるつもりで資格を取るなら、フルタイムで働くことはできない。
パートだって、募集する時には「自由に時間を選べる」的なことを言ってるけれど、実際に自由にできるとは思えない。下手に働き出してしまうと、いざ本当の目的の出番が来た時に身動き取れなくなってしまう可能性が高い。
だから、タイトルのように「保育士として働かないという選択」になるわけです。
これは特殊なケースだとは思うけれど、でも資格持っていても実際には保育士として働いていない人多そうですね。
現場が人手不足で厳しい、厳しいという話を聞くたびに、資格保有者が上手にワークシェアリングできるといいのに、、と思ってしまいます。
私にしたって、本当に勤務時間や勤務日を選べるなら資格取得後、せっかくなら生かしてみたいという気持ちはある。
最初の方で評価が云々とか書いているけれど、保育士全体のことはそれとして、私個人としては体力・気力あるうちに仕事に就かなかったら、また社会福祉士同様せっかく取った資格が紙切れになってしまうし。。。
雇用側も色々な内情があるのでしょうけれど、、まずはとにかく業界全体の、給料に露骨に表れているこの仕事に対する低い評価が変わらないと無理だなという気がします。
今日は暗い話でごめんなさい。天気が悪いのもいけないのかなぁ。。早くからっと晴れた空が見たい。