こちらは雨雨続きですが、皆様のところではいかがでしょうか?
松山は一時ダムの水がヤバ目のところまで来ていたので、恵みの慈雨(>▽<)☆と最初は喜んでたんですが、見事に100%まで回復確認した後は洗濯物が乾かないから早く晴れてくれ、と身勝手なことを願う今日この頃です。
乾燥機がぶっ壊れてから、どうしても必要なときはコインランドリーの大型乾燥機にお世話になることにしているんですが(こちらの方がふんわり・カラリと仕上がる気がするし)合成洗剤ではなく石鹸使用にこだわっているため、洗ってから持って行くのは重い!
雨もありがたいが、青空も恋しい今日この頃です。。。
ティアラも2つほどできたのでアップしたいのですが、どちび君が自分のハッピーバースディを見ると言ってカメラを渡してくれないので、後程アップするとして、今日はタイトル通りちょっと思うところつぶやいてみたいと思います。
besuoのつぶやきは異様に長い。(←最初に自分で突っ込んどくから!)
ご存じのとおり、私はバレエのティアラをメインとして頭飾りを作っているわけですが、この仕事を仕事としてやろうと思い始めたのは2年ぐらい前からにすぎません。
子ども達がお世話になっており、私自身もかつてお世話になっていた教室の恩師が、私の手先の器用なのに目をとめて下さって、「やってみない?」と声をかけて下さったのが始まりでした。
もともとのんたんが習い始めたいきさつとしては、「年少の生徒が少ないから、入れてくれない?」という先生からのお誘いを受けたものだったのですが、2人もバレエをやらせるのは経済的に厳しいと私が迷っているのを見て、なんとか負担を減らす方法はないかということで先生が考えて下さった事だったのです。
最初はレッスンアシスタントとして雇って下さったんですが、どちび君妊娠により中断(^^;
ならば、あなたは器用だから衣裳の方やってみない?ということで、レオタードやミニチュアチュチュ、頭飾り、胸飾り、そしてティアラへと…。
そういう流れを考えると「ティアラで飯食って行こう!!」と思うようになったのは本当に不思議な流れだったと言わざるを得ません。もしかしたら講師になってたかもだし、レオタード職人になってたかもしれない。でもそれだったらきっと、教室という枠を超えることはなかっただろうと思うのです。
先生の才能を見出す目がなければ、今の私はいなかった。
先生には本当に感謝しています。
でも、のんたんはもともと自分がやりたいと言い始めたことでなかったこともあって、小さい子の人数が揃い始めた時点で、本人の意を酌んで2年でやめました。
画伯はいつまで続けるのか。。本人も親も未知数なまま、とりあえずやりたいという気持ちがある限りは続けようね、という感じだったんですが、先月学校で腕を負傷して1か月バレエもピアノも水泳もお休みせざるを得なくて、どれも自分がやりたいと言って頑張ってやってきたけれど…
何が一番やりたいことかということを子どもなりに考えたのでしょう。自分はピアノがやりたい、という結論が出たようで、先週の土曜日、とうとう勇気を出して先生に6月でやめることを伝えました。
子ども達を通しての教室との関わりはこれで終わりになった。
最初の目的である経済的協力の意味も無くなったので、教室からの依頼はもうないかもしれません。依頼があればご恩返しの気持ちで喜んで受けようとは思っていますが。。。
色んな意味で、少々複雑な気持ちではあります。
仕事としてはティアラのおかげで教室を通さずに直接取引できる見込みはついているのですが(Kさんとの連携もありますし)
ホームスタジオ、メインアドバイザーが無くなったということはこれまで以上に心して、いろんなところから学ばねばならないなと引き締まる思いです(><)
ただ、確かに複雑な気持ちではあるのですが、ピアノを頑張るために、バレエをあきらめよう、と決断した画伯の決断自体は嬉しく思っているのです。
先に進むために、何かをやめることが必要な場合だってある。
だらだら惰性で続けるよりも、本当に自分がそれを選んだんだ!っていう気持ちで取り組んで欲しい。
親としては変わっているかもしれないけれど、私は「子どものうちに本当にこれだけはやっとかなきゃいけないこと」なんてそんなに多くは無いと思っている。
勉強だって、自分が欲した時に始めたんでも構わないじゃないかと思っている。
文盲の祖母がどうしても聖書を読みたいと勉強を始めたのは70代。
もう一人の祖母も70歳超えてからワープロ始めて、今はPCだって使っている。
どちらもそんなに上手じゃないし、すらすらとはいかないかもしれないけれど、自分が目的としたやりたいことのレベルは超えている。
これだけは出来なきゃ人間としてダメ、なんていうようなものではなくて、何かができるということは自分の人生に喜びを増し加えることにすぎないと私は思うのです。
いっぱいいろんなことができたら嬉しい。
でも何もできなかったとしても人生の価値は変わらない。何かができるようになるということが我が子の喜びになるなら、なんでもしてやるけれど、勝手にこちらができるようになるべきだと押し付けるようなことはしたくない。
自分で探し、自分で選び、自分で決断して欲しい。手助けはする、というスタンスで見守りたい。
結果、自分の思った時期に思った通りいかなかったとしても、人生全体で見りゃそれがきっかけで思ってもみなかった方に行くかもしれないわけで、それが幸せか不幸かどうして誰が分かる?
お金持ちになること、有名人になることが幸せの基準でなければ、学歴よりも本人の根性と健康と、何より生きることに喜びを持っているということの方がよっぽど大事だと思うわけよ。
まぁ子どもも同じ価値観で生きるかどうか分からないけどさ。
少なくとも、お母さんに関して言えば
あんたが何かできるようになることをあんたが嬉しいと思うなら、それがお母さんの喜びで、
お母さんを喜ばせたいがために何かをしなけりゃならないなんてこれっぽちも思う必要なんかないさ。
境目が非常に微妙で、子どもに分かってもらえるかどうか分からないんですけどね。
とにかく子どもにエネルギッシュに進んでいく姿を自ら見せるべくこれからも頑張ろうと思います。
与えられた人生、与えられた能力、めいっぱい使います。そうしないと分からない喜びがあるんだってことで☆
あ~~長い呟きでした。
最後まで読んで下さった方、ありがとう(^皿^)
ついでにポチッとお願いいたします♪

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耳が突然聞こえなくなったりと紆余曲折の自分の人生ですが、回り道を含め、無駄なことは何もないということだけは確信できるよ。
松山は一時ダムの水がヤバ目のところまで来ていたので、恵みの慈雨(>▽<)☆と最初は喜んでたんですが、見事に100%まで回復確認した後は洗濯物が乾かないから早く晴れてくれ、と身勝手なことを願う今日この頃です。
乾燥機がぶっ壊れてから、どうしても必要なときはコインランドリーの大型乾燥機にお世話になることにしているんですが(こちらの方がふんわり・カラリと仕上がる気がするし)合成洗剤ではなく石鹸使用にこだわっているため、洗ってから持って行くのは重い!
雨もありがたいが、青空も恋しい今日この頃です。。。
ティアラも2つほどできたのでアップしたいのですが、どちび君が自分のハッピーバースディを見ると言ってカメラを渡してくれないので、後程アップするとして、今日はタイトル通りちょっと思うところつぶやいてみたいと思います。
besuoのつぶやきは異様に長い。(←最初に自分で突っ込んどくから!)
ご存じのとおり、私はバレエのティアラをメインとして頭飾りを作っているわけですが、この仕事を仕事としてやろうと思い始めたのは2年ぐらい前からにすぎません。
子ども達がお世話になっており、私自身もかつてお世話になっていた教室の恩師が、私の手先の器用なのに目をとめて下さって、「やってみない?」と声をかけて下さったのが始まりでした。
もともとのんたんが習い始めたいきさつとしては、「年少の生徒が少ないから、入れてくれない?」という先生からのお誘いを受けたものだったのですが、2人もバレエをやらせるのは経済的に厳しいと私が迷っているのを見て、なんとか負担を減らす方法はないかということで先生が考えて下さった事だったのです。
最初はレッスンアシスタントとして雇って下さったんですが、どちび君妊娠により中断(^^;
ならば、あなたは器用だから衣裳の方やってみない?ということで、レオタードやミニチュアチュチュ、頭飾り、胸飾り、そしてティアラへと…。
そういう流れを考えると「ティアラで飯食って行こう!!」と思うようになったのは本当に不思議な流れだったと言わざるを得ません。もしかしたら講師になってたかもだし、レオタード職人になってたかもしれない。でもそれだったらきっと、教室という枠を超えることはなかっただろうと思うのです。
先生の才能を見出す目がなければ、今の私はいなかった。
先生には本当に感謝しています。
でも、のんたんはもともと自分がやりたいと言い始めたことでなかったこともあって、小さい子の人数が揃い始めた時点で、本人の意を酌んで2年でやめました。
画伯はいつまで続けるのか。。本人も親も未知数なまま、とりあえずやりたいという気持ちがある限りは続けようね、という感じだったんですが、先月学校で腕を負傷して1か月バレエもピアノも水泳もお休みせざるを得なくて、どれも自分がやりたいと言って頑張ってやってきたけれど…
何が一番やりたいことかということを子どもなりに考えたのでしょう。自分はピアノがやりたい、という結論が出たようで、先週の土曜日、とうとう勇気を出して先生に6月でやめることを伝えました。
子ども達を通しての教室との関わりはこれで終わりになった。
最初の目的である経済的協力の意味も無くなったので、教室からの依頼はもうないかもしれません。依頼があればご恩返しの気持ちで喜んで受けようとは思っていますが。。。
色んな意味で、少々複雑な気持ちではあります。
仕事としてはティアラのおかげで教室を通さずに直接取引できる見込みはついているのですが(Kさんとの連携もありますし)
ホームスタジオ、メインアドバイザーが無くなったということはこれまで以上に心して、いろんなところから学ばねばならないなと引き締まる思いです(><)
ただ、確かに複雑な気持ちではあるのですが、ピアノを頑張るために、バレエをあきらめよう、と決断した画伯の決断自体は嬉しく思っているのです。
先に進むために、何かをやめることが必要な場合だってある。
だらだら惰性で続けるよりも、本当に自分がそれを選んだんだ!っていう気持ちで取り組んで欲しい。
親としては変わっているかもしれないけれど、私は「子どものうちに本当にこれだけはやっとかなきゃいけないこと」なんてそんなに多くは無いと思っている。
勉強だって、自分が欲した時に始めたんでも構わないじゃないかと思っている。
文盲の祖母がどうしても聖書を読みたいと勉強を始めたのは70代。
もう一人の祖母も70歳超えてからワープロ始めて、今はPCだって使っている。
どちらもそんなに上手じゃないし、すらすらとはいかないかもしれないけれど、自分が目的としたやりたいことのレベルは超えている。
これだけは出来なきゃ人間としてダメ、なんていうようなものではなくて、何かができるということは自分の人生に喜びを増し加えることにすぎないと私は思うのです。
いっぱいいろんなことができたら嬉しい。
でも何もできなかったとしても人生の価値は変わらない。何かができるようになるということが我が子の喜びになるなら、なんでもしてやるけれど、勝手にこちらができるようになるべきだと押し付けるようなことはしたくない。
自分で探し、自分で選び、自分で決断して欲しい。手助けはする、というスタンスで見守りたい。
結果、自分の思った時期に思った通りいかなかったとしても、人生全体で見りゃそれがきっかけで思ってもみなかった方に行くかもしれないわけで、それが幸せか不幸かどうして誰が分かる?
お金持ちになること、有名人になることが幸せの基準でなければ、学歴よりも本人の根性と健康と、何より生きることに喜びを持っているということの方がよっぽど大事だと思うわけよ。
まぁ子どもも同じ価値観で生きるかどうか分からないけどさ。
少なくとも、お母さんに関して言えば
あんたが何かできるようになることをあんたが嬉しいと思うなら、それがお母さんの喜びで、
お母さんを喜ばせたいがために何かをしなけりゃならないなんてこれっぽちも思う必要なんかないさ。
境目が非常に微妙で、子どもに分かってもらえるかどうか分からないんですけどね。
とにかく子どもにエネルギッシュに進んでいく姿を自ら見せるべくこれからも頑張ろうと思います。
与えられた人生、与えられた能力、めいっぱい使います。そうしないと分からない喜びがあるんだってことで☆
あ~~長い呟きでした。
最後まで読んで下さった方、ありがとう(^皿^)
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