
昨日の夕方、待っていたストーンが届いた。
だからティアラがようやく完成したのだけど、残念ながら写真を撮ることができない。
夫がカメラを持って行ったからだ。
彼は今日、広島の音楽大学に勉強をしに行っている。
そこで1日オルガンの講習会があるからだ。
その情報をどこかで見つけ(多分ネットだと思う)申し込みをしてから今日まで、ずっと楽しみにしていた。
昨日仕事を終えて帰ってきたとき、「職場を出る時に久しぶりに楽しみで顔がほころんだ(*´▽`*)」とまで言っていた。
もともと子どもの頃にピアノを習っていて、筋はいいと言われていたらしい。
ただその頃は好きなことをやめさせられたということもあって、本当に嫌で嫌で、発表会の時なども「間違えればいい」と思いながら弾いてたそうだ(;・∀・)
経済的に厳しい中で義母が何を思って息子にそこまで強要したのか今となっては分からないけど、とにかく娘たちに感化されて30年後?に再びピアノを弾くようになった夫。
鬱と付き合いながら
いや、鬱だったからこそ、唯一夢中になれるピアノが救いだったのだろう。
時間があればピアノを弾いていた。夜寝る前も、Youtubeで世界中の演奏者の演奏を聞きまくり、いつの間にか私よりも讃美歌や奏楽曲に詳しくなっていた。
最初はカチカチだった音色が音楽らしさを伴い始めた頃、教会学校(子どもの礼拝)の奏楽を引き受けるようになり、
そして昨年から本礼拝の奏楽者の一員になっている。
妻が言うのも何だが、目をむくような上達ぶりだ。
子どもの頃にやっていたという前提はあるだろうが、娘たちの成長ぶりすらも霞む成長だ。
こういうのを見ると、(プロになるわけじゃなければ)大人になってから習い事始めても伸びる人は伸びるんだと改めて思う。
職場で色々あり、そのプレッシャーで病気が再発し仕事を辞めそうになった日もあったけれど、かろうじて持ちこたえたのは上司の配慮だけではなく、ピアノという楽しみがあったからだろう。
病気が悪くなると愛する子どもたちすら敬遠したくなるようで、そういう時は私も「早めに休んで」と言うことしかできないのだが、やらなければならないことから完全に逃避できないのにただ休むというのは却って辛い、ということもある。
(できないということに必要以上に自責の念を感じるから悪循環なわけで)
その中で意欲がでるものがあるということ自体が驚きだから、私にとっても夫の弾くピアノは大きな慰めだった。
奏楽者になった、その練習のために日々家には讃美歌が流れている。
健やかなるときも病める時も。。。神様を賛美する曲が流れている。
悩める日々がない人生よりも、悩みの中で慰めを得ながら生かされている人生はなんと麗しく、安らぎがあることだろう、と日々思う。
「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。
それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、
忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
この希望は失望に終わることがありません。
なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私達の心に注がれているからです。」(ローマ5:3-5)
私が最初に突発性難聴で聞こえなくなった時、祖父が教えてくれた聖句。以来、いつも何かあるたびにこの聖句が心に浮かぶ。
私達は苦しいことを避けることはできない。それを乗り越えることは神様なしでもできることもあるかもしれないけれど、乗り越えられないこともある。
彼の病気は相変わらずそこにあるし、私自身もいつも調子が良い時ばかりではない(むしろ悪いことの方が多いかも(ーー;)
ただ、乗り越えることができるかどうかということは私達にはあまり関係ない。
乗り越えられなかったらそれはそのままの状態のところに神様の愛があると信じることができるからだ。
そろそろ講習会場に着いた頃だろうか?
先ほどちょっと緊張した声のモーニングコールがあった。朝ご飯を食べたらしい(笑)
「緊張してる?」と聞いたら「ちょっとね」と答えた。
そして私たちは電話越しに一緒に祈った。
苦しみの日々の中で咲いた、遅咲きの花。
これからもっと開いていくのか、それともこれはそのうち枯れて別の花が咲くのか。
それは私達には分からないけれど。。。
少なくとも今日の学びが彼にとって、とても充実し喜びにあふれたものになるといいなぁ(*´▽`*)
今日は個人的な日記ですが、よければ今日も応援してくださいませ(*´▽`*)ノ☆

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だからティアラがようやく完成したのだけど、残念ながら写真を撮ることができない。
夫がカメラを持って行ったからだ。
彼は今日、広島の音楽大学に勉強をしに行っている。
そこで1日オルガンの講習会があるからだ。
その情報をどこかで見つけ(多分ネットだと思う)申し込みをしてから今日まで、ずっと楽しみにしていた。
昨日仕事を終えて帰ってきたとき、「職場を出る時に久しぶりに楽しみで顔がほころんだ(*´▽`*)」とまで言っていた。
もともと子どもの頃にピアノを習っていて、筋はいいと言われていたらしい。
ただその頃は好きなことをやめさせられたということもあって、本当に嫌で嫌で、発表会の時なども「間違えればいい」と思いながら弾いてたそうだ(;・∀・)
経済的に厳しい中で義母が何を思って息子にそこまで強要したのか今となっては分からないけど、とにかく娘たちに感化されて30年後?に再びピアノを弾くようになった夫。
鬱と付き合いながら
いや、鬱だったからこそ、唯一夢中になれるピアノが救いだったのだろう。
時間があればピアノを弾いていた。夜寝る前も、Youtubeで世界中の演奏者の演奏を聞きまくり、いつの間にか私よりも讃美歌や奏楽曲に詳しくなっていた。
最初はカチカチだった音色が音楽らしさを伴い始めた頃、教会学校(子どもの礼拝)の奏楽を引き受けるようになり、
そして昨年から本礼拝の奏楽者の一員になっている。
妻が言うのも何だが、目をむくような上達ぶりだ。
子どもの頃にやっていたという前提はあるだろうが、娘たちの成長ぶりすらも霞む成長だ。
こういうのを見ると、(プロになるわけじゃなければ)大人になってから習い事始めても伸びる人は伸びるんだと改めて思う。
職場で色々あり、そのプレッシャーで病気が再発し仕事を辞めそうになった日もあったけれど、かろうじて持ちこたえたのは上司の配慮だけではなく、ピアノという楽しみがあったからだろう。
病気が悪くなると愛する子どもたちすら敬遠したくなるようで、そういう時は私も「早めに休んで」と言うことしかできないのだが、やらなければならないことから完全に逃避できないのにただ休むというのは却って辛い、ということもある。
(できないということに必要以上に自責の念を感じるから悪循環なわけで)
その中で意欲がでるものがあるということ自体が驚きだから、私にとっても夫の弾くピアノは大きな慰めだった。
奏楽者になった、その練習のために日々家には讃美歌が流れている。
健やかなるときも病める時も。。。神様を賛美する曲が流れている。
悩める日々がない人生よりも、悩みの中で慰めを得ながら生かされている人生はなんと麗しく、安らぎがあることだろう、と日々思う。
「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。
それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、
忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
この希望は失望に終わることがありません。
なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私達の心に注がれているからです。」(ローマ5:3-5)
私が最初に突発性難聴で聞こえなくなった時、祖父が教えてくれた聖句。以来、いつも何かあるたびにこの聖句が心に浮かぶ。
私達は苦しいことを避けることはできない。それを乗り越えることは神様なしでもできることもあるかもしれないけれど、乗り越えられないこともある。
彼の病気は相変わらずそこにあるし、私自身もいつも調子が良い時ばかりではない(むしろ悪いことの方が多いかも(ーー;)
ただ、乗り越えることができるかどうかということは私達にはあまり関係ない。
乗り越えられなかったらそれはそのままの状態のところに神様の愛があると信じることができるからだ。
そろそろ講習会場に着いた頃だろうか?
先ほどちょっと緊張した声のモーニングコールがあった。朝ご飯を食べたらしい(笑)
「緊張してる?」と聞いたら「ちょっとね」と答えた。
そして私たちは電話越しに一緒に祈った。
苦しみの日々の中で咲いた、遅咲きの花。
これからもっと開いていくのか、それともこれはそのうち枯れて別の花が咲くのか。
それは私達には分からないけれど。。。
少なくとも今日の学びが彼にとって、とても充実し喜びにあふれたものになるといいなぁ(*´▽`*)
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